本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > クリスチャン > 佐藤定吉

佐藤定吉(さとう・ていきち)

                                 1887-1960年


大平正芳に影響


明治から昭和にかけて活動したキリスト教独立伝道者。
「イエスの僕会」を主宰し、のちに内閣総理大臣となる大平正芳に影響を与えました。



「イエスの僕会」を主宰


佐藤定吉は1887(明治20)、徳島県富岡町に生まれました。東京帝国大学工科に入学し、1910(明治43)年本郷の弓町本郷教会で海老名弾正から受洗。1912年の大学卒業時には恩賜の銀時計を授与されるほどの秀才でした。卒業後、東北大学教授になるも、1924(大正13)年3月に退職。

「全東洋を基督へ」の召命を受け、1926年に月刊誌『科学と宗教』を創刊しました。東京下落合に産業宗教協会を設立し、信者の企業のコンサルタントをしました。1927(昭和2)年5月「イエスの僕会」運動を開始。全国的に高校生・大学生の間にリバイバルを起こしました。

「イエスの僕会」の中枢は東京と京都で、京都大学の学生を中心とする僕会は服部新(のちに治と改名)が活躍しました。東京では1932(昭和7)年に東洋使徒神学校を開設し、無教会の指導者たちを援助しましたが続きませんでした。

「イエスの僕会」の傍ら、佐藤は米国での伝道旅行を敢行。数回にわたって米国、北京、天津、満州に足を伸ばして精力的に伝道しました。


皇国主義に傾倒


太平洋戦争勃発の頃から急速に皇国主義的となり、1937(昭和12)年末に『皇国の世界指導原理』と題する 共著を出版して「神が、皇国を世界歴史第二の発足点として選んでゐ給ふ事は歴然たる事実」と述べました。佐藤は『信仰殉国』『国体と宗教』『皇国日本の信仰』『皇国信仰読本』『皇国信仰概説』 『皇国神学の基礎原理』『皇国信仰鉄壁の布陣』などのタイトルの著作を矢継ぎ早に出版。

1941(昭和16)年には「イエスの僕会」を「皇国基督会」と改名するに至り、これによって実質的に「イエスの僕会」は解散しました。戦後も引き続き神道の研究と「皇国神学の基礎原理」の研究に没頭。

最晩年においても、第二次世界大戦は東西文化を結ぶ媒体であり、「東洋の花嫁と西洋の花婿とは、遂に結婚する時が来た」と言い、その結婚の地こそが日本であり、「まことに、日本はこの一事を全うする為に供えられた神の特選の国であった」という独特の解釈をしていました。

1960(昭和35)年12月23日、73歳でこの世を去りました。




インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                              「クリスチャン」に戻る>>