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高橋久野

                                 1871-1944年


日本最初の女性牧師


日本で最初の女性牧師。
植村正久より受洗して、一旦佐渡に戻るも、夫の死後再び上京して、富士見町教会の会員として活動。青山教会や洗足教会の開拓に尽力。

神学校卒業後も献身的に働き、河井道と共に台湾には特別派遣されることもありました。老年になってから郷里伝道に戻り、佐渡教会を牧会。62歳で牧師按手礼を受け、日本人女性としては初めてのキリスト教牧師となりました。



佐渡に生まれて


高橋久野は1871(明治4)年3月10日、新潟県佐渡の素封家の家に生まれました。高橋復二郎と結婚し、夫婦で上京。久野は明治女学校、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)で学びました。明治女学校に在学中に、一番町教会(現・富士見町教会)の日曜学校および礼拝に出席し、1892年7月、東京女子師範学校卒業と同時に、植村正久より洗礼を受けました。

佐渡に帰郷して小学校訓導になりましたが、1893年2月夫が死去。久野は再び上京して、青山学院の国語教師となりました。その傍ら、富士見町教会の教会員として、青山教会、洗足教会の開拓に努めました。

1911年、召命を感じて教師の職を辞し、東京神学社に入学。1913(大正2)年に42歳で卒業すると、富士見町教会の伝道師に就任しました。伝道師としての謝儀はままならなかったため、久野は家庭教師をしながら、ひたすら家庭訪問、病人見舞いを続けました。1913年4月に設立された「婦人伝道会社」により、台湾、朝鮮、満州へ派遣され、またアメリカ西部の邦人伝道のため2度渡米。台湾には河井道と共に特別派遣されました。


牧師に、佐渡に


1923(大正12)年、52歳で教師補の准允を受け、翌年、日本基督教会の教師試験に合格し、大会において承認を受けました。植村が急逝した1925年土曜学校は日曜学校となり、久野はその責任者に。また「富士見町教会・洗足伝道所委員会」最初の委員7名うちの1人を務めました。

1933(昭和8)年、佐渡教会の招きに応じて主任伝道師にとして赴任。郷里の佐渡伝道に使命を感じて帰郷したわけですが、このとき久野はすでに62歳でした。

佐渡教会は明治44年に設立されましたが振るわず、困難な状況でしたが、久野は島内をくまなく駆け巡り伝道しました。佐渡に渡った年の12月、日本基督教会東京中会は、臨時東京中会において久野に牧師按手礼を授与。久野は63歳を迎える1ヶ月前に日本最初の女性牧師となりました。

1941(昭和16)年、70歳を迎えた久野は老齢のために隠退を申し出て、教会は久野を名誉牧師として推挙。久野は台北に住んでいる養子の恭次郎のもとに看病のために赴いて、困難を極めていた戦時下のカナダ長老派の淡水高等女学校の教師となりました。

1944(昭和19)年12月8日看取る者もなく73歳の生涯をマカイ病院で閉じました。戦後、遺骨は日本に持ち帰られ、郷里に葬られました。日本基督教団 佐渡教会には、久野の私物であったオルガンが修復を重ねて今も使われているということです。




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