本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 私家版いじん伝 > クリスチャンと影響を受けた人々 > 竹崎順子

竹崎順子 (たけざき・じゅんこ)

                                 1833-1925年


矢島楫子の姉で教育者


明治期の女子教育者 。
熊本英学校付属女学校(現・熊本フェイス女学院高等学校)の校長を務めました。

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋の家に生まれ、15歳で竹崎律次郎と結婚。結婚後竹崎律次郎は横井小楠の門下となり、後に家塾 白新堂を開きました。そこで順子も共に生徒たちの教育に当たりながら、自身も塾で「大学」を学びました。

1887年徳富久子、不破つるを発起人として熊本女学会が発足。順子は同年、海老名弾正により受洗してクリスチャンになり、1921年から不破つるに替わって熊本英学校付属女学校(1922年熊本女学校に。現・熊本フェイス女学院高等学校)舎監となり、後に校長に就任しました。

81歳で没するまでの17年間をキリスト教信仰と儒教的女徳に基づいた教育を行い、生徒と起居を共にして教え諭し、熊本の女子中等教育に献身しました。

日本基督教婦人矯風会設立者の矢島楫子は妹、徳富蘇峰と蘆花は甥にあたります。





インフォメーション
《本サイト内の関連ページ》



                       「クリスチャンとキリスト教関係者」に戻る>>