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田村直臣 (たむら・なおおみ)

                                 1858-1934年


数寄屋橋教会を牧会


明治から昭和にかけて活躍した牧師 。
植村正久、内村鑑三、松村介石と共にキリスト教界の四村と呼ばれました。



数寄屋橋教会と自営館


田村直臣は1858年、大坂に与力の三男として生まれ、海軍兵学校から亀井塾に転塾。結城英語塾、築地大学校で学び、1874年洗礼を受けてクリスチャンになりました。東京一致神学校を卒業し、1874年、日本基督一致教会で牧師の按手礼を受けました。

1880年日本独立長老教会銀座教会(後に数寄屋橋教会へ。現・日本基督教団巣鴨教会)の牧師となり発展させましたが、1882年からアメリカに渡り、オーボン神学校に入学。1885年にプリンストン神学校を出て心理学修士号を取得して帰国し、牧師に復しました。1892年に「日本の花嫁」を出版しましたが、それが植村正久から批判され、日本基督教会の中会は、井深梶之助、山本秀煌、熊野雄七の訴えにより、田村を「同胞讒誣罪(どうほうざんぶざい)」で譴責。田村直臣がこれを不服とし申し立てたため牧師から免職しました。

そのため田村が牧会する数寄屋橋教会は日本基督教会から分離することとなりましたが、自営館などの活動は継続されました。この頃自営館で暮らしていたのが、山田耕筰です。田村直臣は一時期田中正造の足尾鉱毒事件にも協力していました。植村正久が1925年に死去すると、翌年に日本基督教会への復帰が認められました。





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