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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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蔦田二雄 (つただ・つぎお)

                                 1906-1971年


イムマヌエル綜合伝道団の創設者


イムマヌエル綜合伝道団の創設した牧師 。
諸教会間の協力がなされるよう尽力しました。



ビリー・グラハム国際大会の実行委員長


蔦田二雄は1906年、シンガポールで歯科医師を父として生まれ、父が所属するメソジスト監督教会に通って信仰を持つようになりましたが、ロンドン留学への船上で、イギリス人と日本人の間に生まれたオーウェン・ガントレットと出会い、信仰の転換を経験。

福音の役者となろうと決意して日本に帰国し、中田重治のもとで発展していた日本ホーリネス教会に身を投じ、その教役者として日本橋教会で奉仕しました。しかし1942年、東条軍閥内閣の宗教弾圧に遭い、2年間の巣鴨刑務所で独房生活を余儀なくされ、その間に「すべてが奪われても、神の臨在・同行を奪われることはない」、すなわち「インマヌエル」の事実に対する信仰の確信を得、機会が訪れたなら「インマヌエル」(神ともにいます)の名で新しい働きを興すことを決意しました。

第二次世界大戦終戦直前、巣鴨プリズンから釈放された蔦田は、1945年他の2人のクリスチャンと共に「イムマヌエル綜合伝道団」を創設。戦後の社会情勢を反映して、まず「医務部」を千葉県船橋市に設け、翌年には「伝道部」が発足し、イムマヌエル綜合伝道団の第1次年会が持たれました。

蔦田二雄は、イムマヌエル綜合伝道団の総理として労するかたわら、福音的な諸教会間の協力のためにも精力的に労し、ビリー・グラハム国際大会の実行委員長として仕え、また、日本プロテスタント聖書信仰同盟、日本福音同盟の結成のために尽力。また広く国外にも関心を持ち、1960年代に日本の教会の中では早期に世界宣教への取り組みを始め、イムマヌエル聖宣神学院の卒業生たちを国外へ宣教師として派遣したことでも知られています。





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