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浮田和民 (うきた・かずたみ)

                                 1860-1946年


熊本バンドの一人


花岡山で奉教趣意書に署名した熊本バンドのメンバーの一人。=幼名は栗田亀雄。

肥後藩士の子として生まれ、187年熊本洋学校に入学し、L.L.ジェーンズの薫陶を受けてクリスチャンになることを決意。1876年熊本洋学校の生徒35名が熊本郊外の花岡山で奉教趣意書に署名し、キリスト教を日本に広め、人民の蒙を啓くことを誓約しました(熊本バンドとはこれらの人たちのこと)。

ここに署名をした人物には、浮田をはじめ、横井時雄、海老名弾正金森通倫徳富蘇峰らがいました。 同年、ジェーンズから洗礼を受けましたが、熊本では信仰生活がしにくかったので生徒の多くが新島襄が開いた同志社に転校し、浮田もそうしました。1892年アメリカに渡り、2年間エール大学で史学・政治学を学び、帰国後は同志社教授として政治学、国家学、憲法の講義を担当。しかし1897年アメリカン・ボードと同志社の分離独立問題をめぐる学内紛争で同志社を辞職しました。

同志社辞任後、同志社の先輩であった大西祝の推薦により東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師となり、初代の図書館長などを歴任。早稲田大学で44年間にわたり同大学の発展に寄与し、大隈重信のブレーンとして働きました。また大正デモクラシーの先駆けとなる民本主義を唱え、対外的には平和的帝国主義・朝鮮同化政策を主張しました。

浮田は後年、キリストを神の子ではなく人間であるとするユリテリアンに転じ、さらにキリスト教に限らず、宗教の一般の必要性を強調。また1912年には帰一教会の設立に参加するなど、信仰的な紆余曲折を経ました。





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