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フランシスコ・ザビエル

                                 1506-1552年

1549(以後よく)伝わるキリスト教


日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師。=Francisco de Xavier ,Francisco de Jasso y Azpilicueta

「東洋の使徒」と呼ばれ、キリスト教の歴史上で最も偉大な宣教師といわれています。1622年3月、一緒にイエズス会を立ち上げたイグナチウス・デ・ロヨラと共に教皇グレゴリウス15世から列聖されました。



バスク人として生まれる


フランシスコ・ザビエル1506年4月7日、スペイン バスク地方ナヴァーラ王国、ザビエル城で裕福で敬虔な貴族領主の5人の末子として生まれました。6才の時父を亡くし、兄弟も家を出たため孤独な少年期を過ごしました。

パリ大学時代にルームメイトだったイグナチウス・デ・ロヨラから非常に大きな感化をうけ、パリ郊外のモンマルトルの丘にあった教会で誓願を立てカトリック修道会イエズス会を設立。1540年教皇から正式に認められました。

鹿児島ザビエル上陸記念碑


ポルトガル王の支配する植民地での布教へ向けてリスボンから出航し、1542年インドのゴアへたどり着いて現地民に宣教。

またマラッカで知り合った日本人ヤジローから日本のことを聞き、日本宣教を考えるようになり、コスメ・デ・トルレス神父フェルナンデス修道士、ヤジローと共に1549年8月15日、鹿児島へ上陸しました。


日本でのザビエル


鹿児島で領主の島津氏の保護を受け1年ほど滞在した後、天皇の許可を得るためにミヤコに行くことをにし平戸や山口をへて関西に向かいました。しかし荒廃したミヤコでは天皇に会うこと叶わず、延暦寺の麓にある坂本へ行っても門前払いとなり、失望し10日余りで引返しました。

山口ザビエル記念碑


そこで当初の計画を変更し、平戸に置いてあった天皇への贈り物を持って山口に行き、領主の大内義隆に献上して布教の許可を得、住まいをもらって布教を始めました。直接日本人に会って布教するうちに、ザビエルは日本の文化が中国から大きな影響を受けていることを知り、中国行き決意。

1551年9月ポルトガル船が行き来する豊後(大分)に行き、一旦ゴアまで引き返した後中国に向かいましたが、当時外国への門戸が閉ざされていた中国本土へは上陸が許されず、広東の上川島(シャンツァン島)に上陸。機会をうかがううちに熱病にかかり、粗末な小屋で看病を受けるも回復せず、1552年12月3日46才で亡くなりました。

ザビエルの遺体は一旦砂に埋葬されましたが、一年後に掘り起こしてみたところ全く腐敗することなく残っており、見る者を驚愕させました。遺体はインドでのイエズス会宣教の中心地で、ザビエルも活動したゴアへ運ばれ、ボン・ジェズ聖堂が作られたときにそこに安置されました。在日期間はおよそ2年3カ月でしたが、今でも日本中でその名が知られています。





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