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ルイス・フロイス

                                 1532-1597年


あだ名は「おしゃべりフロイス」


ポルトガル生まれのイエズス会宣教師。=Luis Frois
日本のキリシタン史「日本史」”Historia de Iapam” を著し、後世に日本布教の詳細な情報を残しました。



ザビエルに会って


ルイス・フロイスは1532年、ポルトガルのリスボンに生まれ、1541年9才でポルトガルの宮廷秘書室の書記見習いに入りました。1548年16才でイエズス会に入会し、インドのゴアへ渡り、フランシスコ・ザビエル や日本人ヤジロウに出会ったことが、その後に進路に大きな影響を与えました。

1561年にゴアで司祭に叙階され、しばらく各宣教地間の通信事務に当たりましたが、1563年31才のとき長崎の横瀬浦に上陸。1564年に平戸から京都に向かい、ガスパル・ヴィレラやロレンソ了斎らと合流して共に活動するようになりました。

1566年将軍足利義輝に拝謁しましたが、その直後将軍が殺害され、堺に避難。4年間堺に滞在しました。1569年都に戻り、1576年まで都と畿内の布教長を務めました。1569年、織田信長と二条城の工事現場で初めて会見。気に入られて、その後岐阜城や安土城などでも会い、計18回も信長と会って話し、その時の様子を詳細に記録しました。

1577年九州豊後に移り、1580年アレッサンドロ・ヴァリニャーノの通訳として、安土城で神父を信長に引き合わせました。1583年イエズス会の活動記録を記す任務に就き、日本各地の風俗習慣、神社仏閣の建築、庭園、歴史事象、各界の人物像の記録を残しました。これがいわゆる「日本史」”Historia de Iapam” で、後半がザビエルから始まる日本キリスト教史になっています。

信長の死後、1587年7月24日の伴天連追放令が布告されると他の宣教師たちと共に畿内を去り長崎へ逃れました。1590年、ヨーロッパ派遣から帰国した際天正遣欧使節を伴って再び来日したヴァリニャーノに長崎から同行し、聚楽第で秀吉と会見し歓待されました。

1592年、ヴァリニャーノとともに一時マカオに行ってから、1595年に長崎に戻りましたが、サン・フェリペ号事件をきっかけに、キリシタンをめぐる事態は一変。1597年2月5日、日本二十六聖人の処刑が、長崎の西坂の丘で執行されました。フロイスは病をおして実際に見に行き、その有様を「二十六聖人の殉教記録」として書き上げ、その年の7月8日65歳で死去しました。





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