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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ガスパル・コエリョ

                                 1530-1590年


伴天連追放令のきっかけを作った


ポルトガル生まれのイエズス会宣教師。=Gaspar Coelho
イエズス会日本支部の初代準管区長になりましたが、秀吉に軍事的な援助ができることを申し出て、それが伴天連追放令のきっかけとなりました。



初代準管区長


ガスパル・コエリョは1530年、ポルトガルのオポルト生まれました。1556年にインドのゴアでイエズス会に入会。司祭に叙階され、1572年に来日して、九州で布教にあたりました。1581年に日本地区がイエズス会の準管区になると、アレッサンドロ・ヴァリニャーノはコエリョをイエズス会日本支部の初代準管区長に任命しました。

信長の死後、秀吉のキリシタン政策は寛大で、1583年キリシタンに改宗するものはますます増加しこの年だけで8500人に及ぶほどでした。コエリョは1586年に畿内の視察を行い、3月16日に大坂城で豊臣秀吉フロイスの通訳で秀吉を訪問すると大変な歓迎ぶりで、日本での布教の正式な許可を得ることに成功しました。

その後九州征伐のため、秀吉が博多に来ると、コエリョは陣所に赴き、大砲を積んだフスタ船に秀吉を乗せ博多湾を回り、自分たちと組めば軍事援助ができる旨の話をしました。秀吉の顔色が変わったことに気付いた高山右近は、コエリョにこの船を秀吉に献上してはと言いましたが、コエリョは秀吉は上機嫌だったから必要ないと拒否しました。

しかしこれから間もない1587年7月、突如として秀吉は態度を変え、キリシタンを詰問する書を送り、伴天連追放令を出しました。コエリョはそのショックで病につきましたが自分の失態を認めないまま、1590年長崎の加津佐で没しました。





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