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オルガンティーノ・ニェッキ・ソルディ

                                 1533-1609年


日本人に愛された「うるがん伴天連」


イタリア生まれのイエズス会宣教師。=Organtino Gnecchi‐Soldi
信長といい関係を築き、フロイスと協力してミヤコに南蛮寺(教会)を建立しました。



イタリア生まれの明るい性格


オルガンティーノ・ニェッキ・ソルディは1533年、北イタリアのカストで生まれました。22歳でイエズス会に入会し、ロレートの大神学校、ゴアの大神学校で教えた後日本に派遣されました。1570年6月18日天草に上陸してミヤコに向かい、ルイス・フロイスと共に宣教活動をしました。

1577年から30年間、ミヤコでの布教責任者をつとめましたが、明るく人懐っこい性格が日本人に好かれ、布教にも大いに役立ちました。オルガンティーノは日本で衣食住をすべて日本人と同じようにし、日本文化を理解、尊重しました。1576年には、フロイスと協力してミヤコに三階建ての南蛮寺(教会)を建てることができました。

1580年には安土で織田信長から与えられた土地にセミナリヨを設置。本能寺の変後、安土城は破壊され城下のセミナリオも略奪され跡形もなくなりましたが、信長の死後も秀吉に近づくことに成功しました。1583年に大阪城に秀吉を訪問すると歓待を受け、高山右近の領地高槻に新しい土地を得てセミナリオは再開されました。

1587年に最初の禁教令が出されると、南蛮寺は打ち壊されましたが、オルガンティーノは右近とともに小西行長の領地小豆島に逃れ、小西行長の信仰を取り戻させました。翌年右近が加賀前田家に行くことになると、オルガンティーノは九州に向かい、天正遣欧少年使節の帰国後、彼らと共に秀吉に拝謁。

前田玄以のとりなしで再び京都在住をゆるされました。1597年、日本二十六聖人が京都から長崎へ向かう際に拷問を受けた時には、彼らの遺物を受け取っている。その後長崎へ行き、1609年76才で病死しました。





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