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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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フアン・デ・ロス・アンヘレス・ルエダ

                                 1578頃-1625年頃

沖縄の離島で殉教


スペイン生まれのドミニコ会司祭。
沖縄の八重山でキリスト教を布教した「八重山キリシタン事件」で処刑されたと伝えられています。



粟国島で処刑


フアン・デ・ロス・アンヘレス(天使たちのヨハネの意)・ルエダ神父は、1578年頃スペイン北部のブルゴス県ヴィリャサンディノ村に生まれました。1590年にドミニコ会のカエタノ学院生徒となり、1603年ドミニコ会司祭となりました。ヴィリャドリドのサン・バブロ修道院にいた時「ロザリオの聖母管区」のための宣教師募集に応募し、メキシコのサント・ドミンゴ修道院に行くことになりました。

ルエダ神父はメキシコに5か月滞在した後、1604年マニラに到着。同地で開催された管区会議で日本宣教を命じられ、甑島の長浜村に到着しました。1606年2月には川内町の京泊村に移り、1607年肥前国浜町の教会に任命されました。迫害下で潜伏活動をし、1620年長崎を出発、マニラに戻りサント・ドミンゴ修道院病室に落ち着きました。

しかし日本への思いを捨てがたく、再び日本に向けて出帆し、1624年に石垣島冨崎の沖に漂着ました。ルエダ神父が出会った嘉善姓一門にキリスト教が広がり、八重山にキリスト教がもたらされましたが、国禁であったため「八重山キリシタン事件」と呼ばれるキリシタン弾圧事件が怒りました。

1624年、石垣島の宮良親雲上永将は首謀者として焚刑に処せられ、財産は没収。子孫は波照間島や与那国島、宮古島に流されました。ルエダ神父は、琉球王国に連行されたのち粟国島へ流刑となり、そこで殺害されました。処刑されたのは1625年か1626年であったろうと考えられています。





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