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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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ディエゴ・コリャード

                                 1589?-1641年


「日本キリシタン教会史補遺」を著す


スペイン生まれのドミニコ会司祭。

1619年来日し、有馬、有家、郡、長与、長崎で宣教しました。1622年1月平山常陳の船に乗船して捕らえられたフロレスたちの救出に失敗し、厳重な探索を受けるようになりました。元和の大殉教を目撃し、その体験を「日本キリシタン史」の「補遺」に記載しました。

日本語が堪能な優れた宣教師でしたが、会の任務を果たすために1622に離日しました。ヨーロッパで活動した後再びアジアに来ましたが、スペインへ帰国する途中、乗っていた船が遭難して死亡しました。



ドミニコ会司祭として


ディエゴ・コリャードは1589年頃スペインのミアハーダスに生まれました。1604年にドミニコ会に入会し、1611年にフィリピンのマニラに派遣されました。1619年7月末に日本宣教の命を受け日本に潜入し、直ちに日本語習得に没頭し、1620年には長崎一帯でキリシタンの告解を聴き指導するなど活動してしました。

1621年初頭オルファネール神父の「日本キリシタン教会史」の脱稿に助力しましたが、オルファネール神父は4月に捕縛され、コリャードは神父が両手を縛られて鈴田牢へ連行されていく姿を目撃しました。

禁教令下の日本では迫害が酷くなってきて、平山常陳事件が起こったときは、コリャードは26聖人の殉教に関する調査を行っていて難を逃れましたが、危機感を強め、1622年11月に報告のためマニラに戻り、更にローマ教皇国に赴きました。

そこで彼は、日本での迫害の一因にイエズス会による長年の日本布教の独占を挙げたことからイエズス会とドミニコ会・フランシスコ会の論争に発展しました。コリャードは1632年から日本に関する著述を行い「日本文典」「羅西日辞書」「懺悔録」(日本語による告解提要)などを著しました。

1635年にマニラに戻り、アジアを拠点としたイエズス会に対抗する新しい教会組織作りを図りましたが成せず、スペインへ帰国する途中に、乗っていた船が暴風雨のため大破して、助かるために海に飛び込む者たちもいました(その人たちは生き残った)が、船に残っている人たちの最後の告解を聴くために残り、彼らと共に溺死しました。最後に聖務日課を唱えている姿が陸上から目撃されています。





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